鉱山跡
鉛鉱山跡旧武田尾駅から温泉橋を渡り、武庫川の右岸を下ること約600米のところにある。柿の木場の山裾である。坑道入り口周辺には鉛の付着した岩肌が露出しており、間口は高さ170糎、巾150糎くらいの廃坑で、奥行については未確認である。寛延元年(1748年)に、大坂の嶋屋治良三郎という人物が鉛鉱山を開いたところ、湯山(有馬)より温泉の湯脈に障りありと、かな山差留め願いが出されたところである。当時は、紀州沖の潮が塩湯となって、湯山に湧出しているものとされていた。湯山から矢道(直線)で36丁のところにあるため、いつ湯筋塩筋が変わるかも知れぬという訴えを、大坂奉行所が認めて禁止令を出した。今日からすれば一笑に付せられる話である。高丸鉱山東久保の赤坂から旧道を西に進むと船坂川に出る。川に沿って下っていくと鎌倉峡である。鎌倉峡に入るまでの右手山際に高丸鉱山跡がある。間口は高さ150糎 巾100糎位の坑道で、奥行は、地元の方の話では現在の西宮グリーンカントリークラブの中程まで通じているという。途中随所に縦穴もあったというが、閉鎖中のため確認は出来ていない。明治20年頃、大阪の商人が起業し掘削を始めたが、期待したほどの鉱脈を掘り当てられなかった。しかし、仕事の欲しい人夫達は、他所より良質の鉱物を取り寄せて、まだ見込みがあるように見せかけ閉鎖の時期を遅らせ、実際に閉鎖したのは明治30年であったという。名塩探史会