第五九篇 卵塔

卵塔名塩西口バス停から北へ急坂を登っていくと卵塔にたどり着く。正面に教行寺歴代住職の無縫塔が並び立っている。いずれも卵の形をした石塔であることから、墓地一帯を含めて卵塔と呼んでいる。越前国の吉崎で布教活動をしていた蓮如上人が、当地で起きた内乱から難を逃れるため、海路若狭へ渡ったあと摂津の国広根から名塩の地に留まられた時文明7年(1475)ここに草庵を建てられたと伝えられる。中央のやや大きい墓石が初代住職蓮芸上人のもので、それを基点に14基が建てられている。草庵のほとりに小さな池があって、人びとは蓮如が池と呼んでいた。故事を偲んで藤末しえ女が詠んだ歌碑も垣間見られたが、今は開発が進み痕跡すら残っていない。訪ずぬれば  ふるきいおりの跡もなく 蓮如が池に残る月影台地の西側には、「紙職元祖東山弥右衛門之墓」と刻まれた石碑がある。紙漉きの技法を伝授して、村に繁栄をもたらした弥右衛門の功績を称えて、安政2年(1855)に建立された公徳碑である。裏面には、檀那寺源照寺住職託円による、徳行追慕の碑文が刻まれている。平成12年に改修を行ったところ、内蔵されていた甕の中から、天明九年銘の卒塔婆状の木簡が確認された。毎年秋の彼岸には、弥右衛門の追悼法要が行われ、小学校上級生による相撲があり、供物の岩おこしを帰りに貰って帰った。名塩探史会