物事を旧暦で行ってきた名残で、4月3日が桃の節句であった。初節句には母方の里から雛人形、親戚や知人からは市松人形やケース入りの人形が届けられた。人形は3月初旬から床の間に飾られたが、節句が済むと、早く仕舞わないと婚期が遅れるといって、はやばやと片付ける家が多かった。
またこの日は、節句の山行きといって、各地で春の一日を野山に出て飲食をする慣わしがあった。久保は大前俊温さん宅の裏山にある平地の山、名塩は南の町の梅畑、天満辻、舞山、卵塔、木の元は地蔵の裏山(清瀬台)がその場所であった。当日は、ゴザやむしろを持って出かけた。ご馳走を詰めた重箱を持つ者など、年寄りから子供まで家内(やうち)連れ立って出かけた。大人たちは、酒を酌み交わしながら世間話に花を咲かせ、子供たちは、つつじや桜の花枝を折ったり、草笛を吹いて遊んだ。
またこの日に働く人のことを、平生怠けているからという意味合いで、「無精者の節句働き」などとからかった。
こうした行事も理由を付けて休息日を設けていたと思われる。第二次世界大戦が始まると、食糧難の上、悠長な遊びが出来なくなって、いつとはなしに行事は取り止めになった。
名塩四季唄の一節
春は嬉しや 野条数島梅畑で
男衆 女子衆 弁当さげて 筵敷き詰め
花見酒 ちょっとエエで
名塩探史会