教行寺逸話
逸話(1)教行寺第11代沢静住職が、二条関白家から敷子(のぶこ)姫を妻に迎えられた。そのときの嫁入り道具は、13荷に及ぶ豪華なものであったという。しかし、住職が京都本山で要職にあったため留守がちであった上に、奥方も世情に疎いところがあった。日々の出費がかさみ、寺を維持する為にと持参した衣類や寺の什物の多くが散逸してしまっていた。そうしたある日、実家から訃報が届いた。早速出立の支度をはじめたが、奥方のお召し物も村人が調達する有様であった。二条家への帰宅の際の付き人は、寺役員3人と、にわか小姓1人、それに世話女1人と言う粗末なものであった。それ故に、二条家では周囲から見下された態であったという。そこで奥方が敷台に立って 「わらわは、名塩教行寺なるぞ」 と申されると、並み居るもの一斉にひれ伏すという一幕があったという。世話女を務めた宮脇しめ(天保14生)は、溜飲がさがる思いであったと述懐したという。逸話 (2)本堂の建物は、西本願寺の阿弥陀堂を模して建てたといわれている。棟梁は左甚五郎の弟子で、棟上げをしての帰り、東の峠から振り返ってみて、棟が低すぎるのに気づき、屋根を修復する機会があればもう1尺(30cm)上げるように周りに伝えたという。また、外縁の板張りは、歩くとキュッキュッと鳴る「鳴き縁」になっていたが、痛みがひどくなり張りかえられている。名塩探史会