田植え名塩は山に囲まれた地形のため、まとまった耕地がなく、ほとんどが山間に点在する棚田で、山田と呼ばれていた。最大でも5反ぐらいしかなく、武田尾近くの奥地にまで分布していた。徒歩で片道40分以上かかるところが多く、現在は採算性にも問題があって休耕、そのまま放置されて荒廃しているところが多い。規模が最も大きかったのは東山垣内(がいち)であったが、ここも東山台の住宅街になっている。山田の田植えは、5月下旬から始められた。東山垣内では、6月5日に利用者全員で溝さらえをし、10日ごろから専任の水あて人が、溜め池の樋を落として田んぼに水を入れた。代掻きの済んだ田んぼに苗打ち(苗の分配)をして、縄が張られると田植えの準備完了である。田植えは女の仕事で、熟練者がまず縄筋(先頭)を受け持った。9寸枠を後ろへ反転させて植える方式で、1人で6畝を植えつければ1人前といわれた。昼食はご飯のお櫃、茶碗、皿などを運び込んだ。おかずは、えんどう豆煮、生節、酢のものが定番であった。小昼(おやつ)に柏餅などを用意した。田植えが全部終ると、さなぶりといって休息し柏餅を作って祝った。田鋤き賃、田植え賃は、半夏至に支払うのが慣わしであった。農耕のため牛を飼育している農家が多かったが、耕運機の登場で次第に減り昭和40年には1頭もいなくなった。田植え機も昭和30年ごろから導入され始め、昔の田植え風景もあまり見られなくなった。名塩会館の展示室の内容を一部変更しました。 名塩探史会