家屋昭和初期の住居は、藁葺き(萱葺き)の平屋建てが多かった。20年ぐらいの周期で屋根の葺き替えが必要なので、毎年萱を刈り取って屋根裏に収納していた。火事が起きると類焼を防ぐため、破風(屋根の三角部分)をいち早く濡れむしろで塞いだと聞く。門構えや塀のある家は稀で、隣近所と庭伝いに自由に往き来が出来た。かど(庭)は紙干し場や籾干し場にするため広く、夕涼み時などには、床机の上で将棋などして過ごす情景が見られた。かどには、はきだめの場所があって、不要なものはすべてここで焼却処分した。間取りは、大抵の家が田の字型といって、上(かみ)の間、下(しも)の間、おいえ、納戸と4部屋が連続した造りで、間仕切りの襖を取り払うと、多客に対応できる大広間になった。入り口を入った土間続きに、板の間の食事処、へっつい(かまど)はしり(ながし)風呂などが敷地の形状にあわせた造りになっていた。便所は、俗にいうポットン便所で不衛生なため、本屋の外回りか別棟で建てられていた。水道の普及が定着した昭和40年代になって、簡易水洗化がはじまった。住居以外の建物は、総じて瓦屋根であった。農家は、穫り入れ作業のために納屋を。また、牛を飼っている家は、馬小屋(牛小屋)を併設していた。紙漉き家には、紙漉き、紙掃きなどの作業場があった。これを、さいくろと呼んでいたが、細工堂が訛ったのではないかと思われる。白壁の土蔵は、家紋などが塗りこめられていて、その家の格式を象徴していた。 名塩探史会
名