第二一篇 医療

医療名塩における医療といえば、億川さんを思い浮かべる方が多いと思う。ところが、その年代より50年をさかのぼる1800年ごろには、谷村良作 明和7年~文化9年(1770~1812)が医療にたずさわっていたというのである。良作はのちに生島と改姓、昭和30年ころまで 良斎―学―質―保と代々医師を継承してきた。また昭和2年ごろから数年、覚前久治郎医師が開業している。場所は有馬方面行き名塩バス停付近(現国道)であった。さらに、昭和17年ごろには南堂医院が開業された。しかし、当時は保険制度もなく貧困な家庭が多かったので、症状がひどくならないと医者に罹らない傾向があった。そこで活躍したのが置き換えの薬である。富山の行商人が、1反風呂敷に包んだ薬箱を背負って、半年か1年ごとに訪れてきた。おまけに貰った紙風船をつきながら 「越中富山の万金丹、鼻くそ丸めてあんぽんたん」 などとはしゃぎ回ったものである。病気の治療や健康を保つために、やいと(お灸)をすえる家庭も多かった。もぐさは、置き換えの薬袋と一緒に保管されていた。自生のよもぎで自家製のもぐさを作る人もあった。はじめてやいと治療をする時は、やいと屋さんでつぼをおろしてもらう。東久保の因谷さんの先祖でひなさんという方が有名で、東久保に因幡屋(因谷の屋号)のやいとありと、世間に広がるほどであったという。子供の「かんの虫」にきくので近郷からも大勢訪ねてきたらしい。昭和20年頃まで、およそ30年間も続けておられたそうである。名塩探史会