第二四篇 名塩のはじまり

名塩のはじまり「太古人跡たちたる深山なり」 今から800年くらい前の名塩のことを、有馬郡誌(1924)には、このように記述されている。前人未到の原始の森であったようである。では、この名塩に人が住みはじめたのはいつごろからなのか。教行寺縁起によると、1475年蓮如上人が名塩に留錫されたとき、人家が24戸あったとある。お年寄りたちの口伝では、そのころすでに東山岡垣内(東山小学校付近)にまとまった集落があったという。日当たりの良い平地で、口(上方)に近い場所で居住に適していたのであろう。蓮如上人も布教のため、しばしばこの地を訪れたとか。また東久保の生野道筋にあたる大沢の新田から奥保にかけて、人家が3戸あったといわれる。さきの24戸が、これらを含めてのものかどうかは判らないが、少なくとも14世紀中ごろには人が住んでいたのは確かである。ちなみに名塩史(1990)には14世紀以後ではなかろうかと記されている。こうした人家と人家を結ぶ最古の伝い道が、道場河原~生野道を経て奥保~国見池~かご池~北山~東山~石坂~木の元~小浜へと間道のように通じていたという。江戸中期になると、ますます紙漉きが盛んになり、紙漉きに欠かせない水の豊富な場所に住居を移す者が増えたため、現在のように谷あいに密集した名塩が形成されたのではないかと思われる。住宅の開発が進み今では約6,000世帯18,000人が住んでいる。隔世の感を否めない。名塩探史会