第二七篇 億川八重

億川八重

当村で開業医をしていた億川百記の長女八重が、緒方洪庵と結婚したのは17才の時であった。百記の師、中天游のもとで知り合った洪庵の非凡さを見抜き成婚させたといわれる。結婚当初は、開業早々で洪庵の名が世間に知られていなかったので、患者も少なく生活は苦しかったが、うまく家計を切り盛りして洪庵を助けている。ところが、開業2年目にして、大坂医師評判記にその名が現れ、8年後には患者の応接に大忙しの盛況となった。洪庵の学識を慕って、教えを乞う若者が続出して邸が手狭になったので、豪商天王寺屋忠平衛の持家を買い取り、適々斎塾(適塾)を開設するに至った。大勢の塾生たちの台所を預かる八重夫人の気苦労は、想像を絶するものであったに違いない。塾生たちは血気盛りでしばしば乱暴を働き問題を起こしたが、そのつど夫人が取りなして事を納めたという。それ故に塾生達からは、いつまでも慈母のように慕われたといわれる。八重は、夫洪庵の影響を受けて、弟や子供らに勉強の大切さを説き聞かせた。事実、次男の惟準にはオランダ、三男惟孝はロシアへ、五男の惟直はフランスへとそれぞれ留学させている。八重の墓碑に、子供を教えるに力あり、夫に仕えるに貞なり、かつ厳しく、かつ順であったと刻まれている。JA名塩支店前の八重胸像。億川家ゆかりの地にあって、これから育っていく子供たちの成長を、期待をかけて見守っているような気がする。なお、文中の適塾は、大阪市営地下鉄淀屋橋下車5分のところにある。