名塩小学校(明治)
名塩小学校の前身、塩渓小学校は、学制が発布された翌年の明治6年に開校している。場所は、名塩会館東側で、民家を改造して校舎としたと記録されている。児童数はわずか30名であったという。開校するまでは、教蓮寺や源照寺で僧侶が読み方や書き方を教えていたというから、そこに通っていた子供たちが入学したと思われる。明治29年に、建物が老朽化したため、南の町西端(南堂医院北側)に新校舎が建てられた。総工費2,000円は、すべて村民の寄付金によるものであったという。さらに昭和2年には、現小学校の地に新校舎が建てられ、増改築を重ねて現在に至っている。学習科目は、読み方、算術,書き方、修身、図画、手工、唱歌、理科、農業、裁縫であった。1年生の国語読本はタコ、コマ、ハト、ハタ、マメなどのカタカナ単語。書き取りや算術の計算は、鉛筆や帳面がなかったので、学校備品の石板を使って、ろう石(半透明で柔らかい石)で字や数字を書いた。書き方は、新聞紙を四つ切りにして綴じたものを草紙として持参し、清書のみに半紙を使った。服装は男女とも和服であった。男は筒袖の着物に冬は綿入れの羽織を着ていた。体操の時間には羽織を脱ぎ塀に掛けた。みんな草履ばきで、雨の日や雪の日には下駄を履いて通学した。明治34年に、高等小学校が併設されたが、わずか2年で廃止になっている。小学校の義務教育は4年制であったが、明治40年になると6年に延長された。名塩探史会