名塩小学校(大正~昭和)
大正元年の児童数は40名であったが、同8年になると2倍の80名にもなった。そのため2人用の椅子に3人が掛けたり、午前と午後の組に分かれて授業を受けた。大正6年に高等科が復活したが、製紙業の手伝いや授業料月額20戦が重荷で、高等科へ進学するものが極めて少なかった。そのため読み方と算術以外は、1年と2年が同じ教科書での授業を余儀なくされた。大正10年に、男と女が並んで座ったことが話題になったというから面白い。昭和に入ると、男子の服装は黒の制服制帽、夏は霜降りの服で帽子に白いカバーをつけた。女児は着物から徐々にスカート姿に変わっていった。昭和8年、1年生の読本教科書改正では、紙面が色刷りになった上「ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」と軍国主義が色濃い内容に変わった。学校の行事では、毎月1日、全校生で名塩八幡神社へ参詣した。朝礼に続いて、ラッパ手と校旗の旗手を先頭に歩調を合わせて行進した。拝殿における校長の所作を教頭が中継して、かしわ手を打つ号令をかけた。式典のあと宮参りの歌を合唱したものである。運動場の片隅に10坪ほどの田んぼがあり、生徒らによって稲作が行われた。周囲を注連縄で囲ったこの田んぼを神饌田と呼び、収穫した稲穂は奉安殿(天皇皇后の御真影と教育勅語を納めた建物)に丁重に奉納された。
名塩探史会