第三三篇 名塩紙のおこり

名塩紙のおこり

名塩は、江戸初期から和紙の里として知られた所である。最も隆盛を極めたのは江戸中期であり、名塩千軒とも称された。紙業に従事する人の多さを誇大に表現したのではなかろうか。このように名声を高めた名塩和紙であるが、紙漉きの技術がいつどうして始まったのか創業をめぐっては色々な説がある。① 文明7年(1475)名塩に来村した蓮如上人の供人が、そのまま永住して製紙を始めた。② 東山弥右衛門が、越前で技法を習得して名塩に帰村し村人に教えた。③ 天正8年(1580)木こりの男が、木曽へ出稼ぎ中技法を習得してきて村人に教えたとする三つの説が代表的なものである。中でも、安政2年(1855)卵塔の地に建立された弥右衛門の顕彰碑は、②の説が根底にある。口伝をもとにした水上勉の小説「名塩川」がそれを裏付けるかの印象をもたらした。しかし、平成2年(1990)「名塩史」で、著者の長濃丈夫氏が、①②③それぞれの説に疑問符を投げかけている。そして弥右衛門の没した後、その功績を紙職仲間から感謝され、それが時代を経ていつしか紙祖として崇められるようになったのではないかと推論している。では紙祖でない功績とは何を指すのであろうか。ひとつの論として、泥入りの考案が考えられる。零細な紙漉き村にあって、泥入りの紙を生産し始めたことは画期的で、以後藩札や取引札として需要が旺盛で、村の繁栄に寄与した功績は絶大であったと思われる。名塩探史会