第三八篇 生活様式の変遷(灯火)

生活様式の変遷(灯火)

昔の灯火は行灯(あんどん)が主であった。持ち運ぶもの、室内に置くもの、壁に掛けるものなど様々な種類があった。もともとは持ち運ぶものであったので行灯の字が当てられたらしい。光源は灯明(とうみょう)で、中央に石もしくは陶製の火皿に菜種油を入れ、木綿や山吹などの灯心に点火して使用した。菜種油の代わりに安価な鰯油を使用する家もあった。灯油ランプは、西洋から伝わった照明器具で、行灯より後に出現した。主に吊り下げ型で、金属製またはガラスの容器に口金を取り付け、それに綿糸製の芯(しん)を差し入れて石油に浸し、ねじの操作によって芯を上げて点火した。ホヤといわれるガラス管の中で炎を放つ。そのほかカンテラも照明に使われたが、いずれにしても油代が嵩むので、夜更かしをせず早く寝た。名塩に電灯が通じたのは大正11年である。生瀬の大正元年、山口の大正5年に比べるとかなり遅かった。一般家庭は晩線と呼ばれる契約で、10燭または16燭の一灯のみに制限されていた。球切れすると契約外の球にならないよう、切れた球と交換でないと買えなかった。定時になると配電会社から一斉に点灯または消灯された。昼線契約の家庭はメートル線といって一日中通電していた。しかし当時は停電になることが多く、ランプの常備は欠かせなかった。初期の電力供給事業は阪神電鉄が、昭和9年からは阪急電鉄、同17年に関西配電株式会社が設立され今日に至っている。名塩探史会