生活様式の変遷(通信)
言葉は、人間社会における伝達の手段として最も有効な方法である。逮夜や法恩講法要へおまいり頂く親戚などに、人を頼んで触れてまわってもらった。これを呼び人触れといった。また葬式が出来ると、2人1組で親戚に焼香を依頼してまわった。いわゆろ焼香触れで、時間の浪費をいとわず、人間の脚力だけが頼りであった。遠方の場合は飛脚に頼むか、若い者を飛脚代わりに仕立てた。名塩における郵便取扱所の開設は明治6年である。郵便業務も次第に充実してきて、電信を用いた文書の配達サービスとして、電報を利用できるようになった。電報の申込みは、郵便局の窓口で「頼信紙」という申込み用紙に、宛て先や電文をカタカナで記入した。料金は15文字以内で20銭であった。肉親の危篤や訃報などの緊急連絡手段に用いられた。「ハハキトクスグ カヘレ タロウ」などは、代表的な電文である。名塩地域に最初に電話が架設されたのは、大正4年名塩巡査駐在所の警察電話であるが、一般電話は 昭和20年の名塩郵便局にはじまり同26年に村役場、同28年小学校と公共施設に架設されたと記録されているが、中にはもう少し早かったのではという声もある。ご存知の方は連絡願いたい。現在のように殆どの家庭が加入者になったのは、昭和40年以降である。形態はさらに進化し、今ではファクシミリやメール、携帯電話がもっぱらである。