生活様式の変遷(運輸)昔の旅は自分の足だけが頼りであったから、あまり大きな荷物を持つことはなかった。行李か風呂敷包みを背負って出たものである。行李の素材も、竹や柳など、軽くて丈夫なものが選ばれた。 荷物が多いときは、行李二個を結び付けて肩の前後に担いだ。これがいわゆる「振り分け荷物」である。出で立ちは手甲脚半にわらじ履きであった。長旅や女人お年寄りは駕籠を利用して旅に出た。主に山駕籠という垂れのない簡素な駕籠である。そのうちに2人乗りの人力車も登場した。近代的な乗り物として脚光を浴びていた汽車は、明治31年当時の阪鶴鉄道が宝塚から有馬口(生瀬)まで延伸して開業した。その後大正13年9月には、宝塚自動車商会が宝塚~名塩間に15人乗りのバスを開通させた。しかし料金が高いうえ便数が少ないので利用度は低かった。阪神間に出る時は生瀬駅まで徒歩か自転車を利用した。女性は藁草履で歩き、駅に着くと靴に履き替えていたようである。物の運搬となると、天秤棒の両端にぶら下げて肩で荷なって運ぶ。大きな家財道具などは長持竿を金具に通して前後2人で荷なった。長い距離になると大八車に載せて運搬したが、そのうちに牛や馬に引かせる馬力車を利用するようになった。自転車の出現は物と人の移動に大いに役立った。なかでも50貫号という荷台の大きな自転車や、リヤカー付きは、重量物の運搬をする商い用としてよく利用された。名塩探史会