藤原仲光美女丸伝説というのが川西市にある。多田源氏の祖、源満仲は、我が子美女丸を僧侶にするため中山寺に預けるが、武家の血を引く美女丸は、僧侶になることが不服で罪なき人々に悪行を繰り返し評判がよくなかった。それを知った満仲は、修行の成果を見るためにと多田の館に美女丸を呼びつけた。ところが美女丸は和歌どころかお経も読めないありさま。激怒した満仲は、重臣の藤原仲光に美女丸を切れと命じた。困ったのは仲光である。命令とはいえ主君の子の命を奪うことができず困り果てていると、仲光の子幸寿丸が、私が身代わりにと申し出た。仲光は涙ながらに我が子を切ったという悲話。ところで、この仲光をなぜこの欄に登場させたのか。実は名塩の地と深い関わりのある伝承が残されているのである。『塩渓風土略記』(1857)に「名塩村ハ往昔、多田満仲公ノ家臣、藤原仲光仮ニ徒居ヲ有シヨリ始テ村里トナル」とある。また教蓮寺の寺伝にも、「天元年中(978~983)藤原仲光多田ヨリ当地に移住シ居ヲ字篝山ニ占メ一村ヲ領ス」となっている。(篝山は名塩東口名塩南児童公園附近)元和年間に本堂が火災で焼失、現在地に再建されたが山号は篝山のままである。名塩の黎明期とされる年代から400年以上もさかのぼる話でもあり、これからの研究資料として取り上げてみた。名塩探史会