婚姻 (上)
交通機関のない頃の婚姻を結ぶ相手は、特別な縁故がない限り、村内または近隣の村落との間で縁談が進められた。とりわけ名塩の場合は、紙漉きを本業とする村であったため、ほとんどが村内結婚であった。紙漉き技術の流出を防ぐためという見方もあるが、紙漉き仕事の内容を理解している娘の方が、働き手として好都合であったからというのが本音であろう。仲人業ではないが、世話好きな人が奔走して縁談をまとめることが多かった。恋愛結婚はほとんどみられなかった。縁談がまとまると、正式な結納までに婿方から嫁方へ扇子と金子が納められた。言葉は悪いが押さえといって、手付金の意味合いがあった。この段階で行き初めという習慣があったそうである。いわゆる足入れ婚のことで、夜暗くなってから仲人が娘を連れて婿方へ案内すると、婿方では心尽くしの馳走を出してもてなした。娘は一晩婿になる男と共にし、翌朝早く我が家へ帰るのである。夫婦の約束が出来たことを公にする役目も併せ持っていた。したがって、その後は比較的自由に男の誘いに応じて泊まりにいった。これを俗に泊まりといった。婚礼は、行き初めから3ヵ月ぐらい経った頃が多かったという。長引くと心変わりや、懐妊が目立ってくるという事情があった。この風習は大正初期まで残っていたそうである。女性軽視ともいえる風習であるが、昔の『家』を守ると言う感覚で『嫁』として大切な役割を期待した結果ではないかと思われる。名塩探史会