第五四篇 葬れん(下)

葬れん(下)古くは西の墓、上の墓、山条の墓、東の墓など、住居に近い墓地で野焼きをしていたようである。石囲いに割り木を組み、その上に棺をのせて焼く方法で岡焼きともいわれた。大正5年に東の墓地に焼き場が完成してから、名塩地区内は野辺送りをするようになった。隠亡(おんぼう)を職業とする人がいないので、近所の人達がその役回りを引き受けた。主な役割を挙げると1 焼香ふれに行く  2火葬用の薪を焼き場へ運ぶ  3丁ローソクを,道中の辻々に、また六道の辻を墓場の登り口に立てる。 4紙花、松明、しきみ、灯籠、盛物などを作り野辺送りで持つ  5 焼き場の火の管理をする  6 夫人達は炊き出し。葬れんは死人の家で営まれるのが普通であった。僧侶が寺を出る時、葬れん太鼓を鳴らしたので、それを聞きつけて会葬に駆けつける人もあった。出棺は、理由はわからないが縁側からに決まっていた。輿は従来蓮台に乗せていたが、大正7年頃から駕籠を使うようになった。輿持ちと呼ばれる近親の男達も死人と同じ白装束を着用した。同じ格好をする事で故人の寂しさを和らげようとする真情と、忌のかかっている人達であることを公に示す意味もあった。女人衆は出棺前に焼香を済ませておき、墓地で名前を読みあげられても焼香をしない慣わしであった。また白被衣(しろかずき)は、葬れんの帰りと骨あげの往路は、着用しなかった。昭和35年に襲来した台風で焼き場が崩壊、爾後、現在の告別式形態になった。名塩探史会