第一四篇 豆芝居

豆芝居五月下旬になると、毎年のように芝居の興行があった。えんどう豆,そら豆の収穫期で,豆ご飯の弁当持参で観劇する人が多かったので豆芝居とも呼ばれていた。開催場所は主に、□九の屋敷、まるいの屋敷(いずれも八幡神社の近く)有井の屋敷(JA倉庫)、中富店東広場、八幡神社などであった。小屋掛けは、周囲を紙板やむしろで囲い、大テントが張られていた。客席の桟敷は、むしろを敷き詰めて、竹や縄で4人用のます席に仕切られていた。花道の反対側には、高場といわれる一段高い6人用のます席が設けられていた。舞台がよく見えるので木戸銭も高かった。逆に客席の中ほどから後ろは、追い込みといって低料金であった。木戸口(改札)は、むしろ1枚で仕切られていた。開演は夕方5時頃からなので、午後になると下っ端の役者達が「東西とうざい」と太鼓と拍子木を打ち鳴らし、出し物(演目)を口上して村中に触れまわった。股旅物や浪曲、それに喜劇や現代ものなど、3日間、日替わりで出し物を変えて興行、最終日の切り狂言には特に人気が集まった。芝居見物には座布団や膝掛け、それに弁当、酒肴を持ち込んでひと刻を楽しんだ。収容人員はおよそ100人くらいであったという。興行主は、芝居小屋張りの大テントの株式保有者で構成されていたようで、中条石松、川条富蔵、水内勝次郎、嵐 (某)らの名前が浮かぶ。戦時になるとこうした娯楽もなくなった。

名名塩探史会