上中啓三
明治9年(1876)名塩中之町で上中治兵衛の3男として生まれた。13才にして大坂道修町の薬種商石津店に奉公にあがった。その後、苦学して大坂薬学校に入学、さらに東京大学薬学科の専科に進んだ。そこで日本における薬学研究の第一人者、長井義教教授の指導を受ける。明治32年24才の時、長井教授の勧めもあって単身渡米し、胃腸消化薬(タカジャスターゼ)を創製した高峰譲吉博士の米国研究所の実験助手として入所した。上中は、多くの苦労を重ねながら、副腎髄質から分泌されるホルモン、「アドレナリン」を単離結晶化させることに成功した。交感神経を刺激する作用をもつホルモンで、世界初の快挙であった。しかし当時は、アドレナリン発見者として高峰譲吉のみが紹介され、上中啓三の功績については全く触れられることはなかった。彼は昭和35年、85才で亡くなっているが、その7回忌に彼の遺稿「実験ノート」の存在が確認された。これが科学史研究者、山下愛子氏によってその全貌が公にされた。詳細なノートの内容から、アドレナリン抽出実験を主に行ったのは上中啓三であることが明らかとなったのである。生前、自らの業績が表に出なかったことについて不満らしきことは漏らしていない。彼の人柄が偲ばれるところである。ノートは上中家から寄贈され、名塩教行寺に保管されている。また同寺境内には、顕彰碑も建立されている。名塩探史会